彦根市 荒神山のオガタマノキ
2018年06月27日

荒神山の山頂に、荒神山神社という歴史のある社がある。
江戸期まで、山頂には奥山寺と呼ばれるお寺があった。奈良時代、聖武天皇の頃に、僧行基が荒神山の東方に四十九院を創建し、その奥の院として山上に奥山寺を建て、火と竈の神である三宝荒神を勧請したのだという。
仏様と神様が山の上で同居してきたのだが、明治の神仏分離令によって奥山寺は廃され、三宝荒神を祀る社などが荒神山神社として存続してきた。
山頂までは、山の北東側と南側から2本の林道が付いており、車で上ることができる。ウォーキングで登るのも違った楽しみがある。
神社の境内に上がる急な石段を登り切ったところに、大きなオガタマノキがある。神社では、この樹をダマノキと呼んでいるが、社伝によると、行基が堂宇創建後に伊勢神宮に参拝し、外宮の御神木の実を譲り受けて奥山寺の境内に植えたのだという。
オガタマノキは、サカキやシキミと同様に、神社やお寺の境内でときおり見かける。3月から4月にかけて、白や薄黄色の小さな花が樹全体を包むように咲き、ほのかに香る。
オガタマノキの名は、招霊(おきたま)の樹という呼び名が転じたものといわれる。小香玉(おがたま)から転じたという説や、拝魂(おがみたま)から転じたという説もある。
荒神山神社では、例年6月30日にみなづき祭がある。「荒神さんのみなづきさん」と呼ばれて親しまれ、無病息災を祈願する夏越の祓が、荒神山神社の例大祭とされている。茅の輪くぐりが恒例の行事である。

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06:32
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彦根市 龍潭寺のナツツバキ
2018年06月23日

佐和山の西の山麓に、だるま寺として知られる龍潭寺がある。関ヶ原の戦いで武功を立てた井伊直政が、佐和山城主となったときに創建したと伝えられる。
大きな山門に通じる参道の脇に、石田三成の座像がある。関ヶ原で敗れた三成の菩提を弔う寺でもある。
龍潭寺は、趣のある3つの庭が楽しめる。まず現れるのが南庭である方丈庭園。ふだらくの庭と呼ばれる枯山水の庭である。白砂と苔と立石が、その浄土を表している。
次に池泉の庭が現れる。小堀遠州が作庭に関わったとされ、蓬莱山を模した石組みが見事だ。いちばん奥に北庭である露地庭がある。
池泉の庭と露地庭に、ナツツバキの花が咲く。ナツツバキはシャラノキとも呼ばれ、白く清楚な花が美しい。
シャラノキは沙羅樹と書く。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色」という平家物語の一節を思い浮かべるが、沙羅双樹と沙羅樹は別の樹である。
昔、ある僧がお釈迦様にゆかりの樹を探して、山を分け入り沙羅双樹を見つけた。その樹を沙羅樹と呼んだのだが、日本に沙羅双樹は育たない。その樹はナツツバキだったというわけだ。
ナツツバキは花の形がツバキに似ているので、その名が付いたのだろうが、樹相はかなり異なる。花の色も違う。
だが、花が散る様はツバキに似ている。朝に花が開き、夕方には落ちてしまう一日花なのだ。

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長浜市 舎那院のスイレン
2018年06月20日

スイレンは、梅雨の季節、舎那院の小さな放生池のなかで純白の花弁を開きはじめる。太古の時代、多くの植物が水辺から乾いた大地へと上がっていったなかで、スイレンは水のなかで生きる道を選んだ。植物の原初の姿をとどめているのかもしれない。
印象派の画家モネも、スイレンに魅了された一人だ。「光の画家」と呼ばれたモネは、スイレンをさまざまな光のもとで描いた。自宅の庭につくったスイレンの池をモチーフにして、二百点以上の絵を描いたといわれる。
初期の作品には岸に生える柳の木や、池に架かる日本風の橋などが描かれているが、最晩年、画面に描かれているのは水とスイレンだけだ。スイレンのラテン名は「妖精花」。光を絵にしたモネが、この花をモチーフに選んだのもうなずける。
モネの絵には薄紅色の花が多いが、もっとも惹かれるのは純白の花だ。何よりも、お寺の放生池を飾るのにふさわしい。
日本に自生するスイレンの仲間にヒツジグサがある。未の刻、つまり午後二時ごろに花を開き、夕刻に閉じることからその名が付いたというが、実際には朝から花を開いている。
ヒツジグサは花の径が四、五センチほどで、園芸種のスイレンよりも小ぶりだ。しかも、色は白だけである。舎那院のスイレンは、大きさといい、色といいヒツジグサに近いようだ。

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余呉町全長寺のアジサイ
2018年06月13日

余呉湖の北にある古刹全長寺は、余呉川の支流がつくった平地に堂を構える。寺の周囲を田んぼがとり巻き、山裾に村々が点在する。それらをつつむように山が連なっている。
全長寺は、もとは浄土宗の小さな坊だったという。その後曹洞宗に転じ、江戸時代後期に近隣の五ヵ村から境内地の寄進を受けて、現在の伽藍が建てられた。
本堂へ上がり内陣の天井を見上げると、鮮やかな花と樹で彩られている。格天井の一つひとつの格子にウメ、ボタン、ユリ、モミジといった四季の花木が描かれている。
絵の贈り主は、近在にあった尼寺だという。寄進する財を持たない尼寺の庵主が、長い期間をかけて托鉢に歩いた。そのようにして受けたお布施をときの禅師に託したのだという。
全長寺は、アジサイ寺として知られる。住職が、まわりの田んぼで育てたアジサイを境内に植え続けてこられた。
本堂の天井画のように、仏様を荘厳するとともに花を愛でることで、多くの人たちに寺にお参りしてもらいたい。住職のそんな願いが込められている。
アジサイは梅雨の季節によく似合う。風土に合った花である。アジサイの原産地が日本だと聞くと、なるほどと思う。
ところが、西洋から新しい文化がもたらされるまで、わたしたちの先人にとってアジサイはそれほど身近な花ではなかったようだ。現在もっとも一般的に植えられている品種は、セイヨウアジサイである。
日本に自生していたガクアジサイが18世紀末に西洋に渡って園芸用に改良され、明治以降に里帰りしたのだという。

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23:10
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彦根庄堺公園のハナショウブ
2018年06月11日

ハナショウブの花びらは、浜ちりめんの肌のようだ。白生地のうえに淡い紫色をぼかして散らし、目の覚めるような紅をポイントとして配している。
濃い色合いの花は紫紺や群青、臙脂。薄い色合いのものは薄紫や藤色、水色と、和の伝統的な色で、ていねいに一つひとつの花びらに色付けがなされているかのようだ。
しかもモノトーンではなく、紫から水色へといったような微かなグラデーションを描きながら変化していく。友禅染の職人が描いた絵のように繊細で緻密な模様である。
その色合いが、ふんわりと梅雨空に溶け込んでいく。清らかな水のある風土と雨の季節に似合う花である。我が国でつくられた園芸植物の傑作の一つといえる。
彦根の庄堺公園は、15年あまり前に開設された彦根市の地区公園である。ハナショウブの前に約1200本のバラが公園を彩り、ハナショウブの後にはサルスベリが咲く。
公園は、犬上川の北岸に位置している。かつて、この辺りに青柳庄という荘園があったといわれ、明治22年の町村制施行により、荘園の名から南青柳村が成立している。
公園がある場所は、「北庄堺」、「中庄堺」、「庄堺」と、南北に細長く小字の地名が連なっている。庄堺公園の名は、そのあたりに由来するようだ。
犬上川は、幾度かその流れを変えており、昔は庄堺公園の辺りを通ってびわ湖へ注いでいたという。いずれしても、この辺りは青柳や甘呂といった豊かな水を連想させる名のついた地名が多い。犬上川の伏流水によって、豊かな水がもたらされるのだろう。ハナショウブの咲く環境に適した風土なのだ。

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今津平池のカキツバタ
2018年06月06日

箱館山の奥に平池と呼ばれる小さな池がある。標高500メートルほどの山上にあって、周囲を深い森に囲まれており、初夏になるとカキツバタの紫花で埋めつくされる。
川の源流が土砂でせき止められて生まれた池だといわれ、池畔は自然のままである。もちろんカキツバタも自生のものだ。
ひと昔前まで、このあたりは健脚の人たちしか近づけない秘境だったが、いまは赤坂平高原一帯がビラデスト今津という憩いの場に整備されている。
平池は高原の一角にあり、酒波寺のある麓から林道が続いている。誰もが、平池のカキツバタを愛でることができるようになった。
カキツバタは、アヤメや自然種のノハナショウブと見分けるのがむつかしい。色も形も似ている。咲く季節も近い。
図鑑で調べてなるほどと思っても、野山で艶やかな姿に出会ったときに自信をもって答えられない。
だが、平池のカキツバタを見て少しわかった。湿地に群生するのはカキツバタだけなのだ。アヤメもノハナショウブも、山野にはあるが湿地には咲かない。
ただし、園芸品種である花ショウブは湿地を好む。つくづく花の名をあてるのはむつかしい。

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09:03
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石堂寺のボダイジュ
2018年06月02日

米原市清滝の石堂寺の境内に美しいボダイジュの樹がある。風格を感じさせる古木に、青々とした葉を広げている。初夏には、一面に無数の淡く黄色い花を付ける。これが微かな香りを放つ。
石堂寺は天台宗のお寺で、鎌倉時代の創立という古刹である。佐々木京極氏の始祖、氏信に縁故があることから、その法名に因んで道善寺と称した。
その後、天正時代に清滝村の小字石堂脇という所から伝教大師作という石造仏が出土し、この仏様を本尊としたので、石堂寺と改められたという。
ボダイジュの樹の下に「庚申」と刻まれた石塔がある。「庚申」の文字の両側に、「寛政講中」、「村中繁栄」と小さく記されている。庚申信仰は室町末期頃から仏教と結びついて、行いを共にする庚申講が組織され、講の成果として庚申の板碑が造立された。
石堂寺には二つの地蔵堂がある。門の左手には延命地蔵堂がある。江戸末期に清滝村の有志が発起し、寒念仏修行をしながら喜捨を募り、集まった浄財をもって建立したのだという。
門前には放生池があり、その中に小さな地蔵堂が建っている。里山を背後にしてきれいな水を湛え、その周りにサツキやホタルブクロ、マーガレットなどの花が咲いている。堂のなかには、石造りのお地蔵様が祀られている。
さらに、お寺の北側の山裾には、無数の五輪塔や石仏群が並び、石の観音様が建てられ供養されている。
信仰心篤い、清滝の魅力が凝縮された一帯である。


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