高月町尾山 立法寺のサルスベリ
2018年08月28日

高時川が余呉町上丹生や木之本町大見の渓谷を流れ、湖北の平野に出たところに井明神橋が架かる。橋の西側に、猫が伏せたようななだらかな山が見える。
山の麓に立法寺という古刹がある。真宗大谷派のお寺で、江戸前期の開基だが、もとは天台宗のお寺だったともいわれる。
お寺の境内に、紅白の花を咲かせるサルスベリの木があり、遠くからでも、ひときわ鮮やかな花を望むことができる。山門に向かって右手の木が紅、左手が白い花で、一対を成している。
百日紅と書いてサルスベリと読ませる。百日間ほども長く紅の花が咲き続けるので、百日紅という漢字が充てられている。ただし花の色は白もあるし、紫もある。
毎年、樹皮が剝けて木の肌がツルツルになる。さすがの猿もすべって登れない。だからサルスベリという名が付いている。二つの意味が合わさっているわけだ。
紅白の百日紅のあいだにアカマツが聳えている。みごとな枝振りだったが、残念なことに、最近、マツクイ虫にやられたのだろうか、上の部分がスッパリと伐られてしまった。
20年ほど前、山門の右手にもう一本あったアカマツがマツクイ虫にやられ、仕方なく伐採したという。
サルスベリもアカマツも、尾山の門徒の人たちが守っておられるという。尾山は戸数20軒に満たない小さな集落である。


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06:54
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高月 野神塚のムクノキ
2018年08月20日

高月町には、村の入口などに野神塚が多い。「野神さん」と呼ばれ、巨木にしめ縄が張られ、神の依り代として祀られる。
多くはケヤキやスギなどだが、高月町高月の野神はムクノキである。周囲は開発が進み、工場地帯の中に浮かぶ緑の孤島のようだ。
野神塚には、郷土の義人といわれる前田俊蔵にまつわる歴史が刻まれている。明治16年の夏、湖北の村は大旱魃に襲われた。高月、落川、宇根の3村の人々は、高時川にある餅ノ井の堰を切って水を田に注ごうとしたが、高時川の流れそのものが枯れつつあった。
地元に住む前田俊蔵は、友人とともに美濃と越前を分ける山上の夜叉が池に登り、池に棲む竜神に雨乞いをする。すると3日目にして大雨が降り出し、稲穂が青くよみがえったという。
数日後、俊蔵は田の神を祀るムクノキの樹の下で自らの命を絶つ。雨を降らせてくれた竜神との約束を果たしたのである。史実である。
ムクノキの語源はいくつかの説がある。「皮をむく」という言葉から来たという説や、「木工」や「杢」という言葉が転化したという説、よく茂る木という「茂くの木」の意味から来たという説などである。
高月の野神塚のムクノキを見ると、「茂くの木」という説を推したくなる。四方に枝を張り、俊蔵の偉業を称えるように立っている。


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長浜市 舎那院のフヨウ
2018年08月14日

フヨウはアオイ科の木である。タチアオイやゼニアオイも盛夏に華やかな花を付けるが、こちらは草の仲間だ。
「この紋所が目に入らぬか」でお馴染みの徳川家の家紋は三つ葉葵。フタバアオイの葉を図案化したものだ。
アオイの名は「仰ぐ日」から来ているという。葉に向日性があるためである。多くの草木に盛夏のイメージがあるが、フヨウの姿には秋の気配が感じられる。
舎那院のフヨウも8月初旬にはチラホラと咲き始めるが、最盛期はやはり秋の気配が漂い始める頃である。
舎那院の境内は広くはない。山門を抜けると、西に鐘つき堂があり東に太子堂がある。まっすぐに奥へ石畳が延び、正面に本堂が建っている。
本堂の西側に「愛染明王堂縁側」と刻まれた石碑が立っている。一燈園の創始者である西田天香が悟りを開いた場所である。
天香さんは長浜の紙問屋の長男として生まれた。二十歳のとき、北海道開拓団の責任者として百戸の小作農を引き連れて北海道へ渡るが、志半ばで帰ってくる。
舎那院の愛染堂で三日三晩の断食に入り、4日目の朝、赤ん坊の泣き声を聞いて大悟したという。明治36年のことである。
残暑の頃、そんな境内一面にフヨウの花が咲く。薄紅色や白色の花と淡い緑の葉が涼風に揺れる。軽やかな樹である。


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新海浜のハマゴウ
2018年08月11日

暑い夏の盛り、彦根市の新海浜で一人の男性が草むしりをしていた。聞けば、ハマゴウやハマエンドウなどの保護活動をしているという。
ハマゴウもハマエンドウも、本来は海辺の砂浜に咲く植物であり、湖に咲くのは珍しく、びわ湖でも限られた場所にしかない。
新海浜のハマゴウは保護活動の甲斐あって群生地を広げ、真夏の浜辺に涼しげな青紫の花を咲かせている。
近年、大きなエンジン音を響かせて、湖上を疾走する水上バイクを見かけなくなった。数年前に、県条例でびわ湖全域が全面禁止になったのだ。
騒音やびわ湖の水質への悪影響などが禁止の主な要因だが、砂浜に車を乗り入れることで、植物に悪影響を与えていたことも大きかった。
新海浜周辺は自然の湖岸が長く続く景勝地だが、ひと頃は水上バイクのメッカともなり、砂浜に乗り入れる車が後を絶たず、周辺住民は騒音にも悩まされた。
幾度も県へ水上バイクの禁止措置の要望活動を続けたことで、ようやく静かな湖辺を取り戻すことができたという。
ハマゴウは地を這うように伸びていくので、「浜這」、つまりハマホウと呼ばれたのが転じたといわれる。ユーカリに似た芳香があるので「浜香」と呼ばれたからともいう。
背の低い常緑性の樹木で、茎は砂に埋もれて伸びていき、枝がまっすぐに上に立ち、その先に芳香のある青紫の花を付ける。
丸い果実は水に浮かんで遠くへ運ばれていく。砂浜のある自然湖岸で、ハマゴウが見つかるかもしれない。

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米原市 山室湿原のサギソウ
2018年08月08日

この花の名を知らない人が見ても、サギソウという名前を付けるのではないだろうか。それほど名にふさわしい姿をしている。空を舞う鷺の姿とそっくりだ。
かつては、各地の湿地に広く分布する野生ランの一つだった。しかしその美しさがゆえに、乱獲の憂き目に遭った。そして開発により湿地がなくなってしまった。
現在は、園芸店やDIYのお店へ行けば店先に置いてある。その意味では、いまも身近に見られる花だが、自生のものは極めて限られたところにしかない。
湖北では、米原市の山室湿原がサギソウの自生地として知られる。「みつくり谷」と呼ばれるゆるやかな谷間にあり、山室の集落から1kmあまりしか離れていない。
集落の東に青田が広がり、そこを東海道新幹線が突っ切っている。新幹線の下を抜けて水田のあぜ道を進むと、道は森のなかへ入っていく。その先に、森が開けて明るい湿原が現れる。数百メートル先には新幹線が走る。2万年以上の歴史を持つ湿原が、よくぞ残ったものだと思う。
この季節、湿原ではほかにも美しい生き物に出会うことができる。ひとつはハッチョウトンボ。わが国で最も小さなトンボといわれ、頭の先から尻尾までが、一円玉の円の中にすっぽりと収まってしまう。
オスは胴体が真っ赤。鮮やかな朱色をしている。アクロバットのように尻尾を反らせて、ミミカキグサの先端にとまったり、木道の端にとまったりする。
これらの貴重な自然がいまも守られているのは、近くにある山東小学校の児童や先生、「山室湿原を守る会」の方々の地道な活動のおかげだ。


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11:57
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長浜市湖北町 ビオトープのハス
2018年08月02日

ハスは不思議な花である。淀んだ水のなかから長い茎が伸びて、艶やかな薄紅色の花が開く。
ハスの花が咲くところは、泥におおわれた沼地であったりもする。泥沼に生えても泥にまみれず、清らかに美しく咲く。
葉は濡れることがない。葉の表面についた水は丸まって水滴となり、泥や昆虫や小さな異物などを絡め取りながら転がり落ちる。
そんなところから、ハスは高貴な花の象徴として称えられる。仏教と深く結びついた花でもある。
花は朝に開いて、午後には閉じる。三日間、それを繰り返す。そして四日目に花弁が散る。
盛夏、長浜市の旧びわ町から旧湖北町へとびわ湖に沿って車を走らせると、ハスの花が池を埋め尽くす風景に出会う。
戦後、干拓によって内湖が農地になり、何年か前に再び内湖に戻った。ビオトープとして野鳥や魚などの生き物の揺りかごとなっており、そこにハスが群生している。
以前は、すぐ南にある奥びわスポーツの森の、しずかの湖と名づけられた池に繁茂していた。ところが、今はその池にはまったくなく、ビオトープが見渡す限りのハスで埋め尽くされている。
一蓮托生という言葉がある。死後に極楽浄土に往生し、命ある者はみな蓮華の上に生まれ変わって身を託す。言葉の意味はそういうところから来ている。ハスの花が咲く池は、不思議な命の揺りかごなのだ。

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23:23
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